フィレンツェホテルモントリオール · 記念建造物


ドゥオーモ、サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂
フィレンツェのドゥオーモ(司教座聖堂)、サンタマリア・フィオーレ大聖堂は、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計であり、その丸屋根はフィリッポ・ブルネレスキの設計です。ファサードは、この壮大な建築の仕上げとして、19世紀に築造されました。
この堂々たる建造物には、2つの聖具室が建設されたほか、彫刻やパオロ・ウッチェッロやアンドレア・デル・カスターニョ、ジョルジョ・ヴァザーリ、フェデリコ・ズッカリ(丸屋根内部の「最後の審判」)のフレスコ画が深遠な歴史を物語っています。
この司教座聖堂には、フィレンツェのシンボルである百合の花にちなんで、「サンタマリア・デル・フィオーレ(花の聖母)」という名が付されました。 ドゥオーモは、サンタ・レパラータ大聖堂を基盤に建設されました。サンタ・レパラータ大聖堂の遺跡の大部分は、今日、大聖堂の下の考古学区域に残っています。
1294年、大聖堂の設計はアルノルフォ・ディ・カンビオに託され、1296年に建設が開始されました。アルノルフォは1302年にこの世を去るまで大聖堂の建設に携わりました。また、没年の4年前には、ヴェッキオ宮殿の建設にも着手していました。アルノルフォの没後、工事は中断されました。1334年には、ジョットが建設の監督にあたりましたが、1337年に彼も逝去しました。ジョットはとりわけ鐘楼の建設に力を注ぎました。工事はこうしてアンドレア・ピサノの手に委ねられました。 鐘楼は、1359年に竣工しました。フランチェスコ・タレンティの監督により、実に10年の歳月を要したのでした。1360年には、ジョヴァンニ・ディ・ラポ・ギーニの協力による新しい設計が開始されました。1375年にはサンタレパラータ教会が取り壊され、サンタマリア・デル・フィオーレが正式にフィレンツェの新しい大聖堂として正式に準備することになります誕生します。
それから長い歳月を経て1586年、メディチ家のフランチェスコ一世大公の命願いと共に、により新しいファサードが建設されることになりました。アルフォルノの作品も含め、それまでのファサードにあった彫刻が撤去され、ドゥオーモ博物館に移されました。






